◇ ロマン!サイコの花を求めて! その(1):句碑など
「陽炎や柴胡(サイコ)の原の薄曇り」
 元禄3年(1690年)松尾芭蕉が詠んだ句です。当時の相模野は柴胡が一面に咲き誇っている状況を詠んだものと想われます。
 その当時に想いを馳せて、芭蕉の句から柴胡をモチーフにしたものが選ばれて、句碑が建立されたり、相模原市制50周年記念の一つとして絶滅寸前のサイコの育成を試みたようですが、育てるのは非常に難しかったようです。
 一回目は、私たちの近隣にある「柴胡」の俳句が刻まれた句碑や、その名が使われた墓地、相模原市民の歌などを紹介します。

 また俳句集によって多少違った記述になっているようです。これは「柴胡の原」ではなく「糸」の草書体を「原」と読み違えたのでないかという説もありますが、定かではありません。
  ・「陽炎や柴胡の糸の薄曇り」:猿蓑(出典)
  ・「陽炎や柴胡の原の薄曇り」:芭蕉句選、俳諧一葉集(出典)
「陽炎や柴胡の原の薄曇り」 が刻まれた句碑3点です
下九沢 小泉家の句碑(市登録有形文化財) 横山公園の築山の頂上にある句碑
 俳人利角(小泉茂兵衛幸隆)が建てたもので、当初はJR南橋本駅付近に建てられ、芭蕉塚と称していたが、明治2年(1869年)に小泉家に移設されたとされている。 (写真はご当主の許可を得て撮影)
  (相模原市教育委員会発行の文書から引用)
 寄贈:相模原ロータリークラブ
昭和57年(1982年)建立 (裏側に記載あり)

相模原ロータリークラブ設立20周年記念事業として
建立しました。(相模原ロータリークラブの談話)
「柴胡が原 陸橋命名碑」
「市営 柴胡ヶ原墓地」と「供養塔
 「相模原公園前バス停」近くにあり、すぐ側に陸橋が作られた記念碑として、昭和53年(1978年)に神奈川県が建立した。


     (写真は何れも平成26年7月撮影です)
 句碑ではないが、清兵衛新田開拓者の墓地は各屋敷にあったものを、大正初期に地元民によって共同墓地として、南橋本三丁目に作られた。
 その後、町営墓地となり、昭和25年に当時の町長が「柴胡が原」と命名したもので、ここでも「柴胡」が使われている。   (清新のしるべより一部転載)

 サイコの花のタイル:通称 リバティ通り(元アイワールド前)に
 
 
 市役所と元アイワールド間の道路を「通称リバティ通り」と呼んでいますが、この通りの歩道両側に「ミシマサイコ」の花をあしらったタイルが20数枚埋め込まれています。
 平成8年から9年に掛けて、街づくり事業整備計画で商店街活性化に向けた「街づくり懇談会」で、街路灯や付属物などに対する要望を入れて、サイコタイルを設置したとのことです。
 当時の土木課職員が直接デザインを手掛け、タイルを作ったと、担当したKさんからお聞きしました。
   ◆ S さがみはら
   ◆ C シティ
   ◆ L リバティ
 サイコの花のタイルは、この頭文字を茎に見立ててデザインしたとのことで、素晴らしい出来栄えです。
 設置以来、すでに20数年経ち、通行人に何気なく踏まれていますが、これからもこの通りを見続けてくれることでしょう。
 この「リバティ通り」に来る機会がありましたら、ぜひ足元を確認して歩いてみましょう。

 ♪ 相模原市民の歌  作詞  植村 栄輔   補作  勝 承夫   作編曲  平井 康三郎  
 相模原市民の歌は、市民が普段の生活や集団活動の中で、明るく楽しくうたえる「市民の歌」をつくり、これをとおして愛市の精神をもりたてるために、昭和33年に製作されました。 
 歌詞は、全国に公募された中から選ばれ、同年の成人式で発表されました。市の「ひばり放送」の時に、お知らせとともに流れる歌です。  ここでも柴胡の原の文言が使われています。
1.柴胡の原の昔より 希望輝く相模原
  代々の恵を地にうけて 幸あるわれら寄るところ
  光が招く 明日が呼ぶ
2.実りの波は野に丘に 夢も燃えたつ相模原
  青雲高く生産の 平和のけむりたつところ
  建設の歌わきあがる
3.ながれは清くゆうゆうと 絵巻はひらく相模原
  季節のいろをちりばめて 文化の花の咲くところ
  われらがまちに栄あれ

相模原市ホームページより引用 : 一部加筆